シティ・ウォッチ・スクエア

風に吹かれ、波の音を聞き、土に触れ、地域の環境を知り、未来を考える

TEL.050-5586-0381

〒251-0023 神奈川県藤沢市鵠沼花沢町1-14

ジェット気流の発見-大石和三郎とC.G.ロスビー (1)プロローグ

ジェット気流の発見-大石和三郎とC.G.ロスビー (1)プロローグ


未知の現象を解明しようとする強い意志をもった科学者達が、自然科学の発展に貢献してきた。そこでは、好奇心や才能も欠かすことが出来ない。しかし科学者達は、彼ら自身が生きた時代のなかで、世相や経済的条件に行く先を塞がれることもあった。また努力の成果が得られたとしても、後世の社会がどのように成果を受け止めるかは別の問題である。この意味で、科学者の努力は、どれほど彼の人生を保障したのだろう。

気象学が取り扱う現象は、非常にファジーであるといえる。何をどのように観察すれば目的の現象を捉えうるか、また複雑に重なりあった見かけの状態(カオス)から支配的関係を見出すにはどうしたらよいか。

例えば「なぜ風が吹くか」という一見単純な問いかけに対してさえも、赤道と極地の熱収支の不均衡を補償するために生じる海流循環や大気大循環の場から、葉面の粗度で発生する渦が運ぶエネルギーまで、切れ目なく続く連環を観察し、考察しなければならない。だからこそ、面白いのだが。もちろん、これらの広範なスケールを一人の科学者が取り扱うことは不可能である。先人の研究を紡ぎ合わせることにより、現象の姿が見えてくる。

今回の連載で取り上げる「ジェット気流」の時代的背景は、第1次世界大戦から第2次世界大戦直後までが中心で、日本でも欧米においてもいわゆる戦乱の時代であった。戦争には、様々な科学技術が動員される。勝利への執着が科学技術を飛躍的に発展させたのも、この時代の特徴である。

1947年6月、アメリカ気象学会誌(The Bulletin of the American Meteorological Society)に一つの論文が発表された。題名は「中緯度大気の大気大循環について-1946~47年に実施した研究結果の予察」、著者はシカゴ大学気象学部職員(staff members)となっている。学術論文や報告書には著者名を記述するが、共著の場合は最も貢献した者から順番に並べる。これは、研究成果を公表する場合のルールであり義務だ。ただし、共著者の合意があればこの限りではない。架空の名前を使うことも可能である。

発表された論文の著者は、スタッフメンバーズである。論文内容に関する責任は全員が等しく分担するというスタイルで著作されたことになる。どんな場合でも、この論文は「シカゴ大学気象学部職員」という集団の著作として引用される。このメンバー中心にC.G.ロスビーがいた。

上層風の観測は、1930年代になるとラジオゾンデを使い定期的に行われるようになり、卓越した西風が観測されていた。「ジェット気流」を意味する「シュトラールシュトルム」という名称は、1939年にドイツの気象学者セイルコフによって最初に使用された。しかし、当時占領下のフランスでドイツの爆撃機が燃料を使い果たすという事件が発生する1943年まで、英語文化圏では適切に取り扱われていなかった。そんな折、1944年ころまで行われた日本爆撃の際に、アメリカ空軍爆撃機が極端に強い西風に遭遇した(詳細については後述)。この時ロスビーは、米国空軍に対してジェット気流に関する助言を行う立場になっていた。

ほぼ時を同じくして、1945年1月にドイツ上空7.6 kmを飛行する同盟軍の爆撃機が、66 ms-1の追い風に遭遇した。彼らは対地速度119ms-1で移動し、予定より早く目標地点に到達した。西へ向かう帰路では、対地速度は26ms-1にまで低下した。3月には、別の編隊も同様の経験をした。

時間を遡り、1920年8月のことである。現在、茨城県つくば市にある気象庁高層気象台が建設され、翌年4月から測風気球による上層風の観測が始まった。高層気象台を創設したのは大石和三郎である。彼は、日本に高層気象観測の技術を伝達すべ1911~1913年にドイツへ留学し、リンデンベルグ高層気象台やツダム気象台を訪問した。帰国したのは、第1次世界大戦(1914~1918年)の前夜だった。大石の所信は、高層気象データを使い気象予報の精度を高め防災に役立てる点にあった。その当時、民間のみならず軍事でも上層気象データの必要性が増していた。

高層気象台が観測を開始して6年が経過した1926年、大石は自ら行った観測結果を整理し、高層気象台報告1号に「Vento super Tateno(舘野上空の風)」を発表した。使用した言語はエスペラント語である。そこには、1923年3月~1925年2月まで3年間の平均状態と季節別風向・風速の特性が表に示された。特に冬の季節において、高度9kmで70 ms-1以上の強い西風が出現する実態が、ここに明らかになった。約20年後に、シカゴ大学気象学部職員がジェット気流の力学や強風軸の分布など詳細な解析結果を発表したが、エスペラント語で書かれた大石の報告書は参照されることはなかった。

さてこの連載では、主にN.A.フィリップス(1998)の報告をもとにC.G.ロスビーが生きた時代と人間性、さらに「ジェット気流」との係わりを観察する。傍流として、ジェット気流の真の発見者(といってよい)大石和三郎が、信念を持って高層気象研究に取り組んだことを念頭に置く。それぞれの時代背景のなかで、かれらが何を夢見て気象学を追求したのかを描いてみる。どこまで計画通りに進むか、さて始めてみよう。(当ホームページの別の連載「大石和三郎と高層気象観測」も参照されたい。)

 

参考文献

  1. A. Phillips: Carl-Gustaf Rossy: His times, Personality, and actions. Bulletin of the American Meteorological Society, Vol. 79, No. 6, 1097-1112, 1998

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です